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平等院 [旅のお話]

京都食べ歩き その12

平等院と言えば、中学・高校の修学旅行で行った、そんな記憶が
あった。
今回自力で行ってみると、その頃の記憶とは結構違っている。
もちろん、修学旅行の頃なんて随分昔だと言うことはあるかも
しれないけれど、平等院なんてそれよりずーっと昔から存在して
いるのだ。たかだか数十年の差なんて誤差の範囲にも入らないかも
しれない。

京阪電鉄を降りて 小雨の中歩くことしばし。あまりきちんと
調べてこなかったこともあって宇治駅からいきなり少々迷い気味。
宇治に来たら平等院が一番の目玉だからもっとばんばん標識が
あると思っていたが控えめな標識がぽつりとあるのみ。考えて
みれば、みんなバスで乗り付けるので 駅から歩く人などそう
多くはないのだろう。実際、日曜日の日中だったにもかかわらず
我々と一緒に降りて平等院に向かったと思われる人はいなかった。

平等院はご存じ十円玉に描かれている建築物だ。考えてみれば、
平等院は横にひょろ長い造りになっている。こんな横に長い物を
あんな円形の中に描くというのは本当に大変だっただろうと思う。
上下に余白ができすぎてしまうのだ。それでもきちんと収まる
ようにデザインされているのだから恐れ入る。
平等院.jpeg
平等院と言えば、鳳凰堂。「びょうどういんほうおうどう」と
一連の流れで口をついて出てくるほどだ。それが、現在は平等院
ミュージアム鳳賞館というのが別に出来ているのだ。阿弥陀如来座像
は今も平等院鳳凰堂に安置されているのだけれど、その阿弥陀如来像
の周りには空中供養菩薩像が沢山配置されていた。踊ったり 
楽器やお道具を持って演奏したりしている。私はこの躍動的な
空中菩薩像が好きだった。現在はこれらの空中菩薩像は平等院
ミュージアムに移されていて以前よりも間近に見ることが出来る。
ガラスのケースに入っているのだけれど、一体一体をゆっくりと
近い場所で見ることが出来るのは嬉しい。大体 修学旅行で
来たときには、ところてんのようにぐるーっと流れていって、
興味があってゆっくり見たくても置いて行かれそうでなかなか
ゆっくり見れなかった。今回は個人行動だからゆっくり見ることが
出来る。流れるような布の感じや 動き出しそうな手の表情など 
それぞれが見ていて飽きない。本当はスケッチしたいくらいだ。

そして、なんとも不勉強で申し訳ないのだけれど、平等院は
世界遺産だったのだ。申し訳ない、知らなかった。1000年以上
前の仏像と建築物が未だに残っているのだ。石の文化のヨーロッパ
と違って木の文化の日本ではこれは大変なことだ。藤原氏は
実在の人だというのはぴんと来ないが、こうして平等院を造り
仏像を安置した人だと聞くと、実像を持って来るような木がする。
本当は修学旅行の時にそんな風に思わなくてはいけなかったのかも
しれないが、たかだか十数年を生きただけの私には全く実感が
湧かなかったのだ。

こうして再び訪れてみると、違って感じられる。まぁ、その種を
数十年前に埋めて 今やっと芽が出たという感じだ。再び訪れて
良かった。観光客は多かったものの、街全体が静かで うつつと
はちょっと違った空気が流れているように感じる。公共交通機関を
使って自力で行くと、周りの風景や空気も感じることが出来るのが
良いところだ。

もちろん、仏像の他にも、いろいろなお宝満載の平等院。京都の
中心部からは少々離れてはいるけれど、行ってみて良かった。

平等院
京都府宇治市宇治睡蓮116
拝観時間 8:30-17:30

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